市長のプロフィール、市長の夢
更新日:2024年6月26日
名張市長 北川 裕之(きたがわ ひろゆき)
令和6年は、総合計画「なばり新時代戦略」を推進していきます。
プロフィール
生年月日
1959年( 昭和34年)1月2日信条
何事も諦めることなく、粘り強く行うこと
略歴
1971年 名張市立名張小学校卒業
1974年 名張市立名張中学校卒業
1977年 三重県立上野高等学校卒業
1981年 同志社大学法学部法律学科卒業
1981年 名張市役所に就職(~1992年)
1992年 ケーブルテレビNAVA21(現アドバンスコープ)に入社(~2002年)
2003年 三重県議会議員に当選。5期務める(~2022年)
2022年 名張市長就任
名張市長の夢 「周りの幸せは、自分の幸せ」
名張市のリーダーはどんな夢を描き、どんな未来をつくろうとしてるのか?
市長の知られざる思いを取材しました。
【聞き手】名張市秘書広報室 職員(令和4年12月取材)
※「広報なばり」令和5年1月号に掲載の「名張市長の夢」より転載
父の姿
親父は戦艦大和の乗組員。九死に一生を得る壮絶な体験をした人が身近にいたものですから、「いつ、どこで何が起きてもおかしくない」との気持ちはずっとどこかにある。だからこそ、一度きりの人生で、やりたいことは諦めず、とことんやっておきたい。そんな思いが自分の生き様になっているのかもしれません。普段はおとなしい人間なんですけどね。
私が政治の世界に足を踏み入れようとした時、両親はすごく心配しました。親類で政治家は一人もいませんでしたから。「そんな私でも、政治家を志せることを実証したい」という気持ちもありました。何より、北川正恭元三重県知事が「おまかせ民主主義」として示した「批判ばかりしていても社会は変わらない」という考え方に対して、「社会をよくするために、自分は何をしてきたのか」と、なにか恥ずかしい思いに駆られたのです。
一念発起して、県議会議員に。現在は市長職を任せていただいています。もちろん、自分の力だけでなく、多くの人に支えられて事を成し遂げていけるということは、いつも忘れずにいたいと思っています。
印象深い「広報」の仕事
大学生のころは時事問題研究会に所属。新聞を持ち寄って、「この社会問題はどうすれば解決するか」と議論し合いました。卒業後は、行政を勉強しようという思いもあったので、名張市役所へ。
特に広報の仕事は印象深かった。地域の取材をしたり、市民参加の広報紙づくりを進めたり、お風呂でひたすら見出しを考えたり。地域の課題に目を向けながら、さまざまなことを知ること、そして、伝えることに魅了されていきました。その後、ケーブルテレビ局に転職し、番組制作や営業の仕事を経験することになります。
幸せの定義
幼い頃、大人が子どもに自分のケーキを分けてくれることが不思議でした。こんなにおいしいのにって。大人からすると、子どもの笑顔を見ることに幸せを感じるんですよね。自分だけの幸せは長続きしないもの。周りの人を一人でも幸せにできたならば、自分もすごく幸せになれるのだと思います。
それに、私にとって名張は、身近な人の笑顔や語らいがあり、自分が幸せを感じられる場所。そんな名張も人口減少が進んでいます。若者をはじめ、いろんな人に名張と関わり続けてもらうことが大切。そのためにも、名張への愛着を育み、活躍いただける場をつくっていきます。
市長になって、「名張にはこんなにもすごい人がいたんだ」と、うれしい発見がたくさんあります。社会を動かしてくのは「人」。思う存分、力を発揮いただける環境をつくっていきたいですよね。私も「チーム名張」の一員として、皆さんと一緒になって、このまちを舞台に自分の生き様をぶつけていきたいですね。
インタビューの模様は、名張市公式Youtubeページで配信中
趣味は、洋楽(バンド演奏)と謡曲
ハードロックにハマりました
高校生のころは長髪だったんです。ハードロックにハマりましてね。
その後、労働者や若者の声を代弁していたブルース・スプリングスティーンが大好きに。
決してあきらめないその生き様に魅了されました。
今も、友人たちとバンドを組んで、年に1回ほど人前で歌っています。
謡曲や仕舞に興味をもってみて
親父が謡曲仕舞をしていた影響で謡曲を始めました。
独特の世界観に触れることができておもしろいのですが、その良さがなかなか知られていない。
例えば、歴史ドラマで信長が「人間50年~」って舞うシーンを思い出してみて。かっこいいでしょ。
若い人もぜひ興味をもってみて!
市長にヒトコト!まちかどインタビュー
「広報なばり」令和5年1月号では、名張市民の皆さんに、市長へのヒトコトをいただきました。
質問に対して、市長から実筆で回答させていただいています。
※「広報なばり」令和5年1月号に掲載