「ひまわり」掲載記事一覧(2022年分)
更新日:2023年3月10日
「ひまわり」掲載記事一覧(2022年分)
※各リンクを押すと、記事へジャンプします。1月号 | 「これでいいのだ」 |
2月号 | 「寄り添う」 |
3月号 | 「みんなちがって、みんないい」 |
4月号 | 「子どもの権利を守るのは」 |
5月号 | 「視野を広げて」 |
6月号 | 「ヤングケアラー」 |
7月号 | 「歴史に学ぶ」 |
8月号 | 「違いを豊かさに」 |
9月号 | 「『世間』『社会』『日本人』」 |
10月号 | 「変わること」 |
11月号 | 「相手を思う心」 |
12月号 | 「ハンセン病って?」 |
2022(令和4年)
1月号:「これでいいのだ」
「HSP」という言葉を知っていますか?
「非常に感受性が高く外部からの影響を受けやすい性質を持った人」のことをいいます(Highly Sensitive Person)。
最近、メディアでも多く取り上げられ、耳にすることの多いこの言葉。私は、当初「こんな人がいるんだ」と、関心は薄くその症状について深く知ろうとはしていませんでした。
意識し始めたのは、「HSP」に関するニュースを一緒に観ていた妻の「あなたもこの傾向があるよね」という一言からです。
確かに私は、昔からちょっとしたことが気になって不安を感じたり、人に気を使いすぎてとても疲れたりすることがありました。でも、まさか自分が名前がつくほどの症状がある人間とは思えず、素直に受け止めることができませんでした。自分が神経質で刺激に弱いことを認めたくない、人からそう思われたくない気持ちもあったのだと思います。
妻の言葉が頭から離れず、当時、職場や環境が大きく変化して、不安やストレスを感じていたこともあり、自分の性質について考えることが多くなっていました。そこで、「HSP」に関する書籍を読んでみると、「考えすぎて疲れやすい」「人のしぐさや目線などに敏感」「身の回りの環境の変化に敏感」・・・。
まるで自分のことが書かれているのかと思うほど、共感する内容が書かれていたのです。
この書籍を読み終えた時「ちょっとしたことを気にしすぎてダメだな」と思っていた自分を「それでいいんだよ」と肯定してもらえた気がしたのです。なんだか、自分の取扱説明書ができたような感じがして、気持ちがスーッと和らいでいきました。
「これでいいのだ」は、バカボンのパパの言葉。かつてお世話になった人に、「この言葉には、あらゆることをありのままに受け入れるという意味が込められているんだよ」と教えていただきました。
これまでの私は、自分自身のことですらありのままを受け入れることができていませんでした。自分の特性に気づいた今こそ「これでいいのだ」と、自分自身に声をかけ、前を向いて過ごしていきたいと思います。
2月号:「寄り添う」
先日の夕食時、15年ほど前に当時小学3~4年生だった息子と実家へ行き、姉が作ったご飯を食べたときのことが話題になりました。
「晩ご飯食べて帰りよ」ということで、食べることになったのですが、その時のおつゆの味が薄かったのです。(あれ?お姉ちゃん、こんな薄い味付けやったかな?)と思いましたが、横にいる息子のお椀は空になっていました。
姉に「おかわり、よそう?」と聞かれ「うん」と2杯目も食べていたので(へぇー、この子の口には合うんやな)と思ったのです。
「おばちゃんの作ったご飯覚えてる?」と息子に聞くと、「うん、覚えてるで」と言い、続けて「おばちゃんのおつゆ、だいぶ薄味やったよな。お母さんの味つけとえらい違うな、と思ったで」と言うのです。「あんたおかわりしてたやん」と私が言うと、「せっかく作ってくれてるのに悪いやん。それに、おばちゃんのうちの味なんやし」と言いました。
それまで家では「お母さん、味薄い」とか「これ嫌いや」と文句を言っていた息子が、姉のことを思い何も言わずおかわりをしていたなんて。息子は息子なりに考えていたのだと初めて知り、とても驚きました。同時に、その時、息子の思いに気づいていたら、また違った展開があったのだろうな、もっと息子に寄り添ってあげることができたのにな、と息子に対して申し訳ないような気持ちになりました。
このことで考えたことがあります。あの時の息子は、相手のことを思って自分の思いを「伝えない」という選択をしました。でも、実際の日常生活の中では、「伝えたくても伝えられない」場面も多いのではないでしょうか。
「伝えられない」理由はさまざまですが、その人がとても「しんどい」立場にあることは間違いありません。息子だけでなく、自分の周りにそんな人はいないだろうか。いるのに気づいていないだけではないか。
伝えられない思いに気づき、寄り添える人になりたい。息子だけでなく、今まで関わった人、これから出会う人に対して、この気持ちを忘れずにいたいと思います。
3月号:「みんなちがって、みんないい」
私は仕事で、特定不妊治療費助成事業に携わっています。業務に携わる中で幸せな気持ちになることがあります。
それは、「妊娠しました」とお聞きしたり、そのお子さんが健やかに成長している姿をお見かけしたりする時です。そんな時、この事業の大切さを改めて感じます。しかし、治療をしても子どもを授からない人もいらっしゃいます。
私の知人は、不妊治療をしたものの授かりませんでした。周りからの期待に応えられないことにも苦しみ、「自分なんか消えてしまいたい」と思いつめたそうです。
その話を聞いた時、子どもを望みながらも授からない夫婦の苦しみは、これほど深いものなのだと知りました。私はその時、話を聴き、寄り添うことしかできませんでした。
また別の知人は、結婚して5年程、二人だけの生活を楽しんでいました。「そろそろ子どもを授かりたいな」と話していましたが、なかなか授かりませんでした。
その知人が、ある時話してくれました。同窓会で久しぶりに会った友人から「お子さんは?」と聞かれ、「いないよ」と言うと、友人が申し訳ないことを聞いてしまったという表情で、「ごめん」と言ったので、この後しばらく落ち込んだというのです。
「ごめん」と言うのではなく、さらっと受け流してくれていたら落ち込まなかったかもしれないと思いました。こんな時、どうすれば良かったのか正解は分かりません。「ごめん」と言ったその友人の気持ちも分かります。知人にとっては、寄り添った言葉がけが良かったのかもしれません。
人にはそれぞれ置かれた立場があり、望む家族の形も百人百様です。
お子さんがいない家庭もその背景は多様で、夫婦の生活を楽しんでいる人、経済的な理由や身体的な理由で望んでいない人、妊活中の人、不妊治療中の人、治療をしても授からない人などいろいろなケースがあります。
『みんなちがって、みんないい』は金子みすゞさんの言葉です。この言葉は、『あなたはあなたでいい』と教えてくれています。私はこの言葉が教えてくれている温かいまなざしを持ち続けていたいと思います。
4月号:「子どもの権利を守るのは」
孫の思いに応えてやれなかった自分を後悔し、せめて物語の中でその願いを叶えたいと一冊の絵本を作りました。
孫が三歳の時の事です。孫と娘と三人でショッピングモールに行きました。店内では、お兄さんが色とりどりの長い風船で花や動物を作っていました。見事なその様子に魅せられた孫は列の最後尾に並び順番を待ちます。ふと見ると、風船を器用に操るお兄さんの隣には「ひとりひとつです」と書かれた看板。そのことを伝え、二個はだめだよと話しました。
そして、水色のうさぎを作ってもらった孫はとても嬉しそうに、そのふうせんうさぎを食事中も買い物中も離さず、共に時間を過ごしました。
ところが、帰る時間になった時、「おにいさんのところにいきたい」と突然言い出したのです。私は、「ひとりひとつというきまりだからだめだよ」 と言い、娘も、わがままを言わないのとたしなめました。
何度も私たちにせがむ孫を半ば強制的に車まで連れて行きました。何も喋らず、発車してもなお悲しそうな様子の孫。
もう聞き分けなさいねと言う私に、孫はふうせんうさぎを両手に抱き、「この子の家族をつくってもらいたかった」と言って泣きだしたのです。
昼食をふうせんうさぎに食べさせながら「おいしいね」と語りかけたり、自分がおもちゃを買ってもらった時には「きみは何がほしいの」とたずねたりする度に「元気がないね」と呟いていたことを思い出しました。
なぜお兄さんの所に行きたいのかその理由も聞かず、決まり事を守らせることしか考えていませんでした。私は、叶えたいその気持ちを行動に移させず、つぶしてしまったことを孫に謝り、「一人では寂しそうなふうせんうさぎのためにどうしたらよいか」を考えた、その寄り添う気持ちをほめました。時が経った今でも、幼心に寄り添えなかった自分を悔いています。
孫のために作った絵本の最後のページには、水色と紫色のふうせんうさぎが仲良く並んで笑っています。幼心の感性がこれからも豊かに成長してくれるよう、接する私の感性や人権感覚が鈍らないように、磨き続ける努力を重ねていきます。
5月号:「視野を広げて」
私には6歳の娘と2歳の息子がいます。1年前、娘がまだ5歳だったころの話です。
娘は、こども園でたくさんの塗り絵やお絵描きをして、迎えに来た私や夫に見せてくれます。とてもカラフルで細かく塗っているものもあれば、ダイナミックに描かれているものもあり、とても楽しみにしています。
ある日、「これはお母さん、これはお父さん、これは弟、これはわたし」と紹介しながら絵を見せてくれました。
「お母さんと私は女の子だからピンク。お父さんと弟は男の子だから青」というように性別で服の色分けをしていることも説明してくれました。
「お母さんは、女の子だけど青が好きだな」と言うと、「えー、女の子はピンク。青はかわいいじゃなくて、かっこいいなの!」と娘は言いました。
私は、「そっか。そうなんだ」という返事しかできませんでした。
この時、私の中には2つの思いがありました。1つは、性別だけで色を決めてほしくないな。人それぞれに好きな色があるということを知ってほしい、という思い。もう1つは、娘の感性を尊重したいという思い。娘の意見を否定せず、傷つけずにこの思いを伝えるにはどう言えばいいのだろうかと考えました。
その後、同じようなことがあった時には、「あなたはそう感じるんだね。でも、お母さんは青色も好きだし、ピンクが好きな男の子も青色がかわいいって思う人もきっといるんじゃないかな」と自分だけの世界ではなく、視野を広げてもらえるような言葉がけに気をつけています。
娘がピンクをかわいい色、青をかっこいい色と認識していること自体は、何も間違っていないし、娘の感性を大切にしたいと思います。
だからこそ、他の人の考えも否定せず、自身の考えを押し付けることなく受け入れることができる人になってほしいなと思います。そして、私自身も視野を広げ、多くの認識や感性に触れていきたいと思います。
最近の娘は、実際に着ている服や似合いそうだからと考えて、楽しそうに家族の絵を描いています。
6月号:「ヤングケアラー」
先日、新聞の記事を見ながら母が言いました。
「最近、ヤングケアラー(※)って問題になっているんやね。私なんか、それって問題なの?似たことが前からあったんちゃうのって言いたくなるわ。昔は、子守をしながら学校に来ている子がいたよ」
戦中生まれの母からは、「昔はみんなが学校に行って当たり前の時代じゃなかった」とこれまでもよく聞かされていました。「でも、子どもが小さい子の世話やお年寄りの介護をしなくちゃならないのは大変やろなぁ。そのことが理由で自分の時間がなくなって宿題ができないとか、進学をあきらめなければならないとか聞いたことがあるわ。そうなると将来の夢まであきらめなければならなくなることも…」と私。
母は、「そうなんや。家の事情で、夢をあきらめないといけないなんて、かわいそうな話やなぁ。昔、子守していた子。赤ちゃんをおんぶして授業を受けてたけど、よく居眠りしていたわ。『また居眠りなんかして、あかんやん』とその時は思ってた。でも、とても疲れてたんやろなぁ。大変やったんやろなぁって思う」
今の時代、私たちは「みんな学校に行けて当たり前」と思いがちです。でも、学校に行きづらかったり、宿題に取り組めなかったりする子どもの生活背景には、ヤングケアラーの問題が隠れているかもしれません。
それぞれの家には様々な事情があり、それらは周りからは見えにくいケースが少なくありません。また、介護や家事を担っている子ども自身にとっては、それが当たり前になってしまっていて、特に問題と思っていないかもしれません。でも、子どもたちの学んだりする機会が奪われることはあってはなりません。
すべての子どもたちの、「育まれ、守られ、参加し、教育を受ける権利」が保障されるよう、この問題について多くの大人がまず知ること。そして、私たちにできることはなにか考えていきたいです。
※家庭の事情により本来大人が担うような介護等を行っている18歳未満の子ども。国が令和3年に実施した中高生を対象とした全国調査で、約20人にひとりが該当すると報告されている。
7月号:「歴史に学ぶ」
新型コロナウイルス感染症が世界中にまん延してから、2年以上が経ちました。この間に感染状況や予防法、治療薬やワクチンの開発など、感染対策について様々な動きがあり、新型コロナウイルス感染症のことを聞かない日はありませんでした。
未知のウイルスと聞くと、とても恐ろしく、致死率や感染者数を気にする日々が続きました。その不安や恐怖からか、自粛警察や医療従事者・感染者への差別事象も起こりました。
あるとき、知人が「人は歴史を繰り返す。感染症については、これまでも差別があった。ハンセン病やエイズがその例だ。どうしてその時のことを教訓にできないのか」と言っていました。
私は、はっとしました。そして、幼いころに見たドラマを思い出しました。
女子高生がHIVに感染し、エイズを発症する話でした。仲良しの友達とジュースのまわし飲みをしているシーンで、主人公は、うつすのではないかとためらっている描写がありました。また、家族との食事で、主人公の弟が「一緒に食べたくない、うつる」と言って別室で食べているシーンもありました。
医者から、どういったことで感染するのか、また感染しないのかということを説明されているシーンもありました。私は幼心に、どうして感染の心配はないのに、うつると言ったり避けたりするのだろうと不思議に思ったものです。
ドラマ自体はフィクションでしたが、実際に差別は起きていたから、ドラマの題材に取り上げられたのでしょう。
HIVと新型コロナウイルス感染症では、感染の仕方や対策も違います。でも、差別は同じように起こっています。
これからも変異株やまた新たな感染症が発見されるかもしれません。その時には、このドラマを見て感じたことを思い出したいと思います。
知らないからと過度に恐れるのではなく、正しい知識を取り入れて、相手を思いやり、行動することが大事だと思います。
一人ひとりがそうすることができれば、差別は生まれないのではないでしょうか。
8月号:「違いを豊かさに」
最近、家族でこんな会話がありました。
「ちょっと前までテレビコマーシャルに出てる外国人は白人ばかりだったけど、最近は、黒人やアジア系、ヒスパニック系などいろんな人種の人たちが出てるね。外国人に対するイメージも変わってきているのかなあ」そんな話をしながら、私は昔、東京で経験したことを思い出していました。
新宿歌舞伎町で黒人の客引きに声をかけられそうになった私は、恐怖を感じ、急いでその場から逃げだしました。もし、その客引きが黒人でなければ、私は逃げはしなかっただろうなと思います。今思えばそのときの私には、「黒人はこわい」という固定観念が刷り込まれていたのだと思います。
このことに関連して、あるニュースを思い出しました。
2020年にアメリカで、白人警官の暴力により黒人男性が亡くなる事件が起こりました。
事件に対して、テニスの大坂なおみさんが黒いマスクをして抗議の意思を表明するなど「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命は大事)」運動が世界中に広がりました。
この事件について日本のあるメディアが、アニメで解説しました。そこで描かれた黒人はとても筋肉質で、怒りに満ちた表情をし、その後方には強盗をはたらく人の姿も描かれていました。このアニメは黒人に対する誤った固定観念にもとづいた非常に差別的な描写であると批判の的となりました。
その後、このメディアはアニメを削除し、公式に謝罪しました。
同じようなことは、意図的であるかないかにかかわらず、私たちのまわりで日常的に起こっているのではないでしょうか。
異なった人種や民族、あるいは文化などに対する誤った固定観念は偏見となり、差別につながります。違いは分断や対立、排除の口実のためのものではありません。
違いは豊かさです。多くの色彩が多くの人を感動させる美しく豊かな絵画を生み出します。多くの人種、民族、文化が互いに認め合い尊重し合うこと、このことが社会全体の構造の変化につながり、豊かな社会を生み出す力になるのだと思います。
9月号:「『世間』『社会』『日本人』」
妻とドライブに出かけ、郊外を走っていると、無人の野菜販売所が目に入りました。のぞいてみると、ナスやきゅうり、トマトなど新鮮な野菜が袋詰めされて値段はすべて百円。「料金はこちらへ」と貼紙された海苔の缶が置かれていました。
品定めをしながら「無人か・・・なんか日本的やね」と妻。私は「ずるする人もいるやろけど、日本人は『人様に迷惑をかけるな』って言われ続けて育ってるからな」と答えながら、「他人にもそれを求めるしなぁ」と考えていました。
この「人様」は「世間」のこと。「世間をお騒がせして誠に申し訳ありません」。有名人の謝罪会見でよく登場するこのセリフ。「世間」を騒がせたことを謝罪しています。「社会」ではありません。「人様に迷惑をかけるのは最もいけないことだ」という「世間」の強いプレッシャーがあるのです。
コロナ対策を見ると、海外では「外出禁止命令」や「罰則」を伴う都市のロックダウンが中心でした。日本は法的強制力のない「自粛」や「要請」という海外に比べると緩やかなものでしたが、一定効果をあげました。「世間」が良い方向に働いたように見えます。
一方、「自粛」や「要請」に応じない人を発見したとき、自分が「迷惑をかけられた」と思い込み、そこに「正義感」も加わって、「人様に迷惑をかけるな」と非難する感情が生まれ、通報や抗議、実力行使へと至りました。「自粛警察」「マスク警察」の登場です。法的根拠がないにもかかわらず「世間」が制裁を加えるのです。そしてそれを許容する空気があるのです。「世間」が生み出した「同調圧力」が働いているのです。「空気を読め、そんなことをすれば世間が黙ってないぞ」と。
「社会」を成り立たせるのは法のルールです。日本は法治国家ですから、まさに「社会」そのもののはずです。でも、日常生活では「社会」は建前で、「世間」が本音になっていないでしょうか。
「世間」には良い面も悪い面もあります。法のルールや話し合いの大切さを互いに共有する「社会」と「世間」とをうまく重ね合わせたいなと思います。
10月号:「変わること」
「ネットの書き込みがひどいってよく聞くよな」と私。「気軽にできるからって、深く考えずに人を攻撃したり、嘘の書き込みをしたりする人も多いみたいね」と妻。「インターネット上での誹謗中傷対策として、侮辱罪を厳罰化した改正刑法が施行となりました」そんなテレビニュースが耳に入ってきたときに話題に上がりました。
「匿名で書き込めるから、個人を特定されにくいのもそういう書き込みが多くなる原因やろうな。被害者が訴えようとしても、手続きが大変だし時間も費用もかかるから、あきらめて泣き寝入りになる事も多いらしいな」
「そう考えたら、『厳罰化』でそんな書き込みする人は減るんじゃない」
「そうかもしれんけど。でもなあ…」
何か自分の中で、もやもやした気持ちになりました。
◆ ◆ ◆
誹謗中傷対策の強化に向けた議論が加速したのは、2020年のある事件がきっかけでした。放送されていた某テレビ番組の出演者に対し、ネット上に心無い書き込みがあり、そのことを苦にその出演者が自ら命を絶ったのです。その後、誹謗中傷した書き込みの削除が多発。責任逃れを図る者が続出しました。ニュースに何度も取り上げられ、大きな社会問題となりました。また、「誹謗中傷した行為に対する刑罰が軽すぎる」との批判も上がりました。
その後もネット上では新型コロナ感染症や部落差別などにかかわる悪質な書き込みが後を絶たず、便利なはずのインターネットが陰湿な差別の温床となっています。こうした現状や事件に対する社会の声がきっかけとなり、今回の侮辱罪の厳罰化につながりました。
◆ ◆ ◆
厳罰化により、誹謗中傷や差別事象は減少するかもしれません。しかし、「罪が重くなったから」ではなく、「人を傷つけるような行為をしたくないから」誹謗中傷や差別をしない。そんな世の中であってほしいと思います。法律は改正されていきますが、私たち自身は変わることができているのでしょうか。私たちこそ、過去を振り返りながら、変わっていかなければならないのだと思うのです。
11月号:「相手を思う心」
小学校の人権学習で学んだ「生まれたところで差別される『部落差別』―。
部落に住む人たちは、その時代において差別を受けながらも、皮革産業などさまざまな役や仕事を担った人達だということも学びました。同じ日本人なのになぜ差別されるのだろう…。そう思う反面、心のどこかで「自分は部落に生まれなくて良かった」と安心感を覚えていました。
大人になるにつれて、人権学習などを受ける機会も増え、「自分が住む場所は差別されないか」「自分は部落出身ではない」「自分には関係ない」など、そう考えたり感じたりすることが「部落差別」そのものであったのだと、気づかされました。
◆ ◆ ◆
中学生の頃、同級生に被差別部落出身の友人がいました。彼から差別に対しての思いや経験などを聞く機会はありませんでしたが、「自分は部落出身でなくて良かった」という気持ちを抱いていた私でしたので、当時の彼との付き合いの中で、何気なく発した言葉や見せた態度が、彼を傷つけていたこともあったのでは…。そう思う度に胸がざわつきます。
◆ ◆ ◆
今年は全国水平社設立から100年目を数えます。当時、厳しい部落差別に対し、人間の平等を求め、自ら立ち上がり声を上げた部落の青年たちがいました。それから100年経った今も、部落差別がなくならない現実があります。「部落に生まれなくて良かった」。そのように、部落差別を自分事とは考えられず、別の世界の出来事のように思っていた私も、この「現実」を作ってきた一人なのかもしれません。
◆ ◆ ◆
社会に出て大人になった今、仕事などで、いろいろな人と接しています。その中で、「相手を思う心」を最優先に意識するよう心がけています。「相手を思う」ためには、様々なことを「自分事」として捉えることが大切。子どもたちにもそう伝えています。地域に「相手を思う心」が根付いていけば、もっと人と人との間に笑顔があふれていくのだと信じています。
12月号:「ハンセン病って?」
先日、約10年ぶりに岡山にある母の実家を訪ねました。
「おじいちゃん、ホントにご無沙汰。コロナ、大丈夫やった?」
「ありがとう、大丈夫や。おーきゅーなったな。世間ではコロナ差別とかゆーとるけど、もっと昔から同じような差別があったの知ってるか?」
「え?それ何?」
「ハンセン病ゆーて、患者さんや家族がもんげー(ひどい)差別をされたんよ」
ハンセン病のことをまったく知らなかった私に、祖父はいろいろと教えてくれました。
ハンセン病は、らい菌によって起こされる感染症です。らい菌の病原性や感染力は弱く、仮に感染しても発病することはまれですが、症状は主に末梢神経と皮膚に現れ、進行すると運動マヒにより顔面や手足など目に見える部分に変形がおこります。病気としては治っても目に見える形の後遺症があることや、「遺伝病」「不治の病」「恐ろしい病気」と誤解されたことが偏見や差別の要因となりました。
さらに、明治以降、すべての患者を強制的に隔離する施策がとられました。患者を見つけ出し、療養所に送り込むことが正しいこととして、国民の中に意識付けられました。療養所の多くは人里離れた山中や離島に設置され、収容された患者は、故郷を奪われ、家族を奪われ、子孫を残すことさえも許されませんでした。戦後、特効薬ができましたが、国は隔離政策を続けました。隔離政策の根拠となっていた「らい予防法」がようやく廃止されたのは一九九六年のことでした。
「岡山にもその療養所があってな、おじいちゃんそこへ行って、回復された方に話を聞いたことがある。強制労働させられて症状が悪化したこととか、強制的に断種されたこととか、いろんな体験談にほんまに胸が締め付けられたわ」
さらに祖父は話を続けました。
「ハンセン病回復者やその家族への差別は今も続いていて、とても根深い。ハンセン病を正しく理解して、偏見と差別をなくす努力を続けるんが必要なんやで」
ハンセン病を知らなかった私にハンセン病を「正しく」教えてくれた祖父に感謝しています。
関連ファイル
- 2022年1月号掲載ひまわり「これでいいいのだ」(PDF:377KB)
- 2022年2月号掲載ひまわり「寄り添う」(PDF:444KB)
- 2022年3月号掲載ひまわり「みんなちがって、みんないい」(PDF:468KB)
- 2022年4月号掲載ひまわり「子どもの権利を守るのは」(PDF:385KB)
- 2022年5月号掲載ひまわり「視野を広げて」(PDF:599KB)
- 2022年6月号掲載ひまわり「ヤングケアラー」(PDF:632KB)
- 2022年7月号掲載ひまわり「歴史に学ぶ」(PDF:612KB)
- 2022年8月号掲載ひまわり「違いを豊かさに」(PDF:552KB)
- 2022年9月号掲載ひまわり「『世間』『社会』『日本人』」(PDF:594KB)
- 2022年10月号掲載ひまわり「変わること」(PDF:2.3MB)
- 2022年11月号掲載ひまわり「相手を思う心」(PDF:509KB)
- 2022年12月号掲載ひまわり「ハンセン病って?」(PDF:1.2MB)
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