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名張で暮らす人たち

更新日:2024年4月24日

名張で描く夢

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名張に縁のある一人ひとりが、故郷への熱い思いを胸に、夢をもって懸命に取り組んでいます。
そんな一人ひとりの夢がいろんな場面でつながっていけば、きっと名張が活気あふれるまちになっていくはず!
ぜひ、皆さんも、名張を舞台に夢を描いてください!




世界のてっぺんへ

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スポーツクライミング 
杉本 侑翼 さん 【取材:2022年12月】


 小学校3年生の時に見ていたテレビ番組で、割り箸の厚さほどしかない突起にぶら下がって移動する姿に目を奪われました。それがクライミングを始めたきっかけです。「公園にあるいろんな遊具をよじ登るのが好きやったね」と、母からよく聞かされるので、本能的に登ることが好きなんだと思います。

 壁を登るって、単純に見えて奥が深い。「最短ルート」「体力の維持」「力の入れ方」など、瞬発力や判断力が求められ「身体を使ったチェス」とも言われます。登るのが難しいコースだと、大会中であっても他の競技者と「自分ならどうやって登るか」って話し合う。攻略法を考えるのが楽しいんです。誰かが登ることに成功したら、自分のことのように嬉しいですね。いろんなことを考えて理解して、自分の知識やスキルにしていきたいのが自分の流儀。学校の勉強も「丸暗記」よりも本質や仕組みを理解したいんです。

 週に4日は練習で壁を登ります。練習環境が整った施設が少なく施設ごとに壁の難易度やコースもさまざま。「いろんな環境で練習できるように」と両親が関東や四国などへも送迎してくれます。家族の支えに感謝しかないです。

 自信が湧いたのは、令和2年11月、日本選手権の年代別で2位になれた事。優勝こそ叶いませんでしたが、これまでの練習の成果をしっかりと出せた納得のいく結果でした。これまで格上と思っていた選手と肩を並べて競えたことに、喜びがこみ上げた大会でした。
 今は「クライミング」のことしか頭にありません。世界を舞台に、自分がこれからどれだけ登っていけるか、そこからどんな景色が見えるか。想像するだけで楽しくてたまりませんね。

 【プロフィール】
2022年10月 とちぎ国体(少年男子)ボルダリング2位、2021年8月 世界ユース選手権(ロシア)スピード3位など、勢いに乗る近畿大学工業高等専門学校1年生の16歳。小学校3年生からクライミングを始め、中でも制限時間内に完登した課題数で競う「ボルダリング」で腕を磨く。2028年開催予定のロサンゼルス五輪 日本代表を狙う。

運命の場所

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地域おこし協力隊
川崎 智哉 さん(写真中央)【取材:2022年12月】


 南三陸町へ行ったのは高校1年生のころ。東日本大震災から、5年ほど経っていました。ボランティアとして漁師の手伝いをしながら地域の皆さんと話をしましたが、まだまだ復興できていない状況を目の当たりに。メディアでは知りえなかった被災地の現状を知って、驚いたものです。以来、将来は地域活性化に貢献したいと思うようになっていきました。

 大学生のころは、東京の商店街の人たちと一緒にイベントを作り上げてまちを盛り上げたり、長野の竹あかりイベントに参加したりと、さまざまな経験をさせていただきました。ただ楽しむというよりは、「事業者やボランティア、行政など多様な主体がメリットを見出していくにはどうすればよいか」など、催しの運営手法や継続方法を学ぶ場としていきました。

 卒業後は、コロナ禍で観光関連の就職が難しいこともあって、化粧品メーカーに就職。その間も、「SDGsを地域活性化と結び付けられないか」などと考えていた矢先、「竹あかりSDGsプロジェクト」の「地域ビジネスパートナー」募集を知ったんです。もう運命的でしたね。

 赤目地域の皆さんに温かく受け入れていただき、現在は、竹あかりワークショップなどをお手伝い。今後は、竹を活用した体験型エコツアーの企画・運営、竹の土産物開発など、持続可能なビジネスに結び付けていきたい。いずれは自分の店も構えたいですね。「行動力の伴わない想像力は意味がない」がモットー。目標を持って一緒に取り組んでいける多くのつながりをつくりながら、突き進んでいきます。名張に来ることができて、今すごく幸せです。

 【プロフィール】
横浜出身の24歳。東京の大学で経営学を専攻し、観光やイベントの企画運営を学ぶ。1年半ほど化粧品メーカーに勤務した後、昨年10月に「地域おこし協力隊」として名張へ。「地域ビジネスサポーター」として、赤目地域の「竹あかりSDGsプロジェクト」や赤目四十八滝の「幽玄の竹あかり」に関わりながら、観光振興に取り組んでいく。

名張系ユーチューバー

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ご当地ユーチューバー「おねえさんといっしょ」
青野 大夢さん 珠理さん【取材:2022年12月】


 2020年ぐらいに始めたYouTube。ゲーム動画を配信していました。2022年2月、入籍したのを機に、夫婦で市内の観光名所や気になるお店を巡ったりする動画配信をスタート。夫婦で「大好きな名張」をアピールしたいという思いで、2人の思い出のカフェでグルメを堪能したり、青蓮寺のいちご狩りを楽しんだり。すると、「名張っていいところ」「おしゃれなお店」って反響が!私たちの動画を通して、名張の良さに触れてもらえている気がして、やりがいを感じます。撮影中、2人の仲が良すぎて、お店の人が呆気にとられることもありますけどね(笑)。動画の視聴者100万人が目標。名張に視聴者を集めて、ダンスや観光名所ツアーを企画するのが夢です。

 人前に出るのが得意と思われるかもしれませんが、実は2人とも人と接することが得意ではありませんでした。それが今では、撮影許可や取材協力のお願いなど、積極的に動けるようになれた気がします。動画制作を通して、少しずつ成長しているんだなと感じますね。

 2022年11月、青蓮寺湖畔で開催された「あきいろフェスタ」。以前、撮影協力いただいたご縁から、主催者のユノカフェさんにお誘いをいただき、ステージ出演させていただくことに。2人とも前職がダンスインストラクターだったので、その経験を生かして、お客さんと一緒に踊れるダンスを披露。直に反応を感じられて刺激的でした。「いつも見てます」って声をかけていただき、記念撮影も。変わることができた自分たちやこれまでの活動を認めてもらえた気がして、なんだか胸がアツくなって、2人して泣いちゃいました。

 【プロフィール】
 2022年2月から、夫婦で「おねえさんといっしょ」のチャンネル名で動画サイトYouTube(ユーチューブ)へ動画投稿を開始。前職は夫婦ともにダンスインストラクター。名張を拠点に観光名所や気になるお店巡りなど
を配信している。企画・撮影・編集などすべて2人で行う、自称"世界一仲のいい夫婦"

【関連リンク】YouTube「おねえさんといっしょ」

消防士、母になる。

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名張消防署 救急室
大山 優【取材:2022年12月】


 私を成長させたのは、消防救助技術を競う大会の選手選考でした。逆さ吊りでのロープ渡過が苦手で、男性隊員は渡り切れるのですが、私だけはダメだった。体力不足、それに高所の恐怖感があったんです。それが悔しくて、ひたすら続けた懸垂。1カ月半ほど経ったころでしょうか。「渡ってみるか」と声をかけてもらったんです。絶対渡り切る!そんな強い気持ちで20mの長さをすっと渡り切れました。その時は恐怖心なんて感じませんでした。

 これまで数々の火事や救急の現場を経験してきました。チームの足を引っ張らないよう、そして、「人の命を救いたい」という思いが私の原動力です。
 実は、祖父が入院がちで、幼いころから病院を訪れる機会が多かったんです。命の現場に立つ医師や看護師の姿に憧れがあり、人命救助の最前線に立つ救急救命士に。また、その後に授かった第1子は難産でしたが、生まれてきた娘をみて、込み上げてきた「この子を大切にしたい」という思い。命の尊さを改めて感じる瞬間でした。

 そんな尊い命を守るため、一人でも多くの人に救命の初期対応を身につけてもらうことも私の仕事です。子連れの参加を断っていた救命講習会を、子どもと一緒に受けられるようにと提案し、昨年8月に試行しました。子どもも積極的に受講してくれたのは驚きでしたね。今後、より充実した講習会となるよう検討を重ねていきます。

 私の自慢をひとつ挙げるなら、夫かな。家事や育児を共に担い、仕事ぶりも尊敬できるパートナー。夫や職場の支えのもと、娘たちにとっていい母親であり、職場でも最前線で活躍できる。そんな女性であり続けたいですね。

 【プロフィール】
 平成30年採用、5年目の消防士。救急救命士の資格を持つ。消防や救急の現場での活動を経て、現在は名張消防署救急室で救急関係機関との調整や救急救命講習などに従事。先輩の消防士と結婚し、一児の母。現在第2子を妊娠中で、名張市消防本部が昨年12月に導入したマタニティ制服で執務にあたっている。令和5年4月に出産予定

跳べ!世界へ

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三段跳びで日本人3人目 17m超えジャンパー 
伊藤 陸さん 【取材:2021年12月】



 会場を驚かせた「17m」の衝撃
 今年9月、三段跳びで出した記録は日本人3人目となる17m。これまでの練習の成果をしっかりと出せた納得のいくジャンプでした。「17m」は相当高い目標でしたが、まさか、こんなに早く達成できるとは。会場がざわめき、SNSはその話題で持ち切り。もう、浮足立ちましたね。
 「次の目標は?」とよく聞かれますが、「焦って記録を伸ばそうとせず、いつでもコンスタントに好記録を出せるようにしよう」。そう助言してくれるのがコーチの松尾先生です。じっくり地道に練習を積み重ね、近いうちに記録更新できればと考えています。

 もう絶対に逃げない
 中学生から三段跳びを始めたのですが、最初はいい記録が出ませんでした。でも、中学校の先生の「お前はいつか必ず記録が出る」との言葉を信じて、とにかく練習を続けました。転機が訪れたのが高校3年生の時。細かった身体もしっかりしてきて、初めて全国大会で入賞。三段跳びで5位でした。ようやく結果が出たと思った半面、「まだこれから」と奮い立ちました。同じく練習を続けていた幅跳びでも結果を残したい。そう思ったのです。中学生のころ、100m走で記録が出ずに、幅跳びに移行したことがあって。「二刀流」にこだわっているのは、「もう絶対に逃げたくない」という強い思いがあるからです。
 記録が出なくて嫌気がさすこともありましたが、やめたいと思わなかったのは、陸上が好きだから。やりたいことがあれば、あきらめずに長い目で見ることが大切。「継続は力」ですよね。

 世界を舞台にどれだけ跳べるか
 陸上の楽しさを教えてくれたのは父。今でも大会があれば応援に駆けつけてくれます。「きっと記録が出る」と、近大高専への進学を薦めてくれた中学校の先生、そして、今は、松尾先生とオリンピックも視野に入れてトレーニングの計画を立てています。いろんな人や環境に恵まれているんだなと思い、感謝しています。
 伸び続けてきた身長も止まり、自分の体の特徴に合わせた独自のトレーニングも始まったばかり。世界を舞台に、これから自分がどれだけ跳べるか―。世界のトップを目指して競技を続けていくことで、見えてくる景色がきっとあると信じています。

 【プロフィール】
第90回日本学生陸上競技対抗選手権大会(日本インカレ/昨年9月)では走り幅跳び、三段跳びの2冠。走り幅跳びの記録8.05mは学生歴代10位。そして3連覇となった三段跳びで記録した17.00mは、日本歴代3位。187センチメートルの長身で、成長著しいマルチジャンパーとして期待されている。近畿大学工業高等専門学校専攻科1年。菰野町出身。写真は、近大高専 陸上競技部 松尾監督と 

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ぶどうが第一

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國津果實酒醸造所 
中子 具紀さん 【取材:2021年12月】



 ぶどうは栽培農家からの預かり物
 ワインの味はぶどうの出来で8割決まります。皮ごと絞ったぶどうジュースが酵母の働きで発酵し、その上澄みを一定期間貯蔵するとワインになる。決して複雑な工程ではありません。醸造家は看護師のようなもの。ワインが健康を害しないよう気をつけて、酵母がうまく働いてくれるよう見守ります。
 初めてワイン造りを教わったのは、フランスで個人ワイナリーを設立し、世界的評価を得ていた大岡弘武さん。のどごしがサラッとしていて身体にスッとしみこんでいく―そんなワインに衝撃をうけました。母の出身地スペインでもワイン造りを経験。いずれも、自分の畑で栽培したぶどうを使い、野生酵母で醸造するスタイルで、私のワイン造りの原点になっています。
 現在は、山形県などのぶどう農家からの委託醸造が事業の中心。造ったワインを「おいしいですね」と言っていただけるとうれしいですが、それは、やっぱり農家からお預かりした大切なぶどうの出来がよかったということ。まずは、生産者が評価されるのが本来ですし、ワインボトルのラベルにぶどう生産者の名前やロゴをデザインしているのも、そうした思いからです。畑で汗を流したぶどう生産者の思い描くワインを造ることが私の役割なのです。

 自分の畑で育てたぶどうで、理想のワインを
 自分の畑で育てたぶどうで、自分の理想とするワインを造ろうと、名張でぶどう栽培を始めて7年。農薬は使わず、害虫や獣害との戦いが続いています。本当は、雨が少なくぶどう栽培の好適地であるスペインでワイン造りをしようと考えていたのですが、日本で造られた自分好みのワインに出会い、これが造れるんだったら場所にこだわる必要はないなと。いや、むしろ、おもしろい。やってやろうという気持ちになりました。
 ワイン造りは醸造免許が必要で最低生産量も決められています。でも、国津果實酒醸造所では、免許がある私と一緒であれば、ワイン造りに挑戦いただくことが可能です。ぶどうを愛する人なら大歓迎。ぶどうが特産の名張で、生産者の数だけワイナリーがあると素敵ですよね。私が育てたぶどうで醸造したワインに刺激されて、私がそうであったように「自分もこんなワインを造りたい」という人が出てくることが今の目標です。

【プロフィール】
母がスペイン人で、スペイン語が使える仕事をとワイン販売会社に就職。その後、フランスやスペインで、ワイン醸造家に師事。名張でぶどう栽培を始め、滋賀のワイナリーでオリジナルブランドを創設。平成30年に名張商工会議所の「名張ワインプロジェクト」で誕生した「國津果實酒醸造所」(旧国津小校舎内)に醸造責任者として招かれた。
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私の居場所には愛があふれてる

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「世界ダウン症の日」啓発ポスターモデル 
澤田 仁美さん 【取材:2021年12月】



 大好きな「お茶」が縁で、全国的な啓発ポスターのモデルに
 東京で3年前に開催された「世界ダウン症の日」ポスター発表会。ポスターのモデルとなった33歳の私は、文部科学省の副大臣などの来賓やたくさんの報道陣に囲まれ、すごく注目されました。市長さんからは「名張の誇り」って言ってもらえましたし、南宗寺の献茶会に招かれ、裏千家千宗室お家元とご同席させていただけました。まさかこんな日が来るなんて!これは、ぜんぶお茶が取り持ってくれた縁なんです。
 お茶を始めたのは、小学5年生のとき。用務員さんに誘われ茶道クラブに入りました。とても楽しい時間でしたので、中学生になってからも続けたいと思い、母は、近所にお住まいの茶道の先生に弟子入りのお願いをしてくれました。「障害のある子を教えたことがないけれど、まずは体験から」と先生に稽古をしてもらえるように。お点前の所作には難しい決まりがありますが、私が分かるように、根気よく丁寧に教えていただきました。それに、私が主催するお茶会「七夕茶会」という目標もつくってくれました。先生は「どんなに偉い先生でも、お稽古を怠ればお茶会でうまくできない」とおっしゃいます。休まずに、お稽古通いを続けた成果が認められ、茶道裏千家から「澤田宗仁」という茶名をいただきました。20歳のころです。私はあまり泣かないのですが、そのときはうれしくて泣いてしまいました。25歳には、お稽古をしていても簡単にはたどり着けない「准教授」の許状を頂きました。

 いろんな人の支えで、チャレンジできる
 できれば、茶道は一生の楽しみとして続けていきたいですし、仕事も頑張りたい。何か新しいことも始めようと、最近は、近所の人と一緒にヨガ教室にも通い始めました。私が代表を務め、絵本の貸出など本の魅力を伝える「私の一冊文庫」も、コロナ禍で活動方法を変えていかなければなりません。
 私が小さいころ、療育に携わってくれた先生が母に「娘さんの一生の楽しみを見つけてあげて」と話してくれたそうです。学校の先生やお茶の先生、地域の皆さん、そして、そばで応援してくれる両親の支えがあって、チャレンジできる!いろんな人との出会いで、私の可能性が広がります。私の居場所は、私を支えてくださる人の温かい気持ちでいつも満たされているのです。

※本人と家族へのインタビューをもとに記事を作成しています。

【プロフィール】
2019年の「世界ダウン症の日」の日本版ポスターモデルに起用された澤田さん。小学5年で茶道を始め、中学1年で裏千家流准教授・高島宗美さん(つつじが丘)に弟子入り。稽古を続け、25歳に准教授に。現在、名張育成園「とも」が運営する「CAFE&GALLERYホップ」で週4日働き、地域文庫「私の一冊文庫」代表も務めている。
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働きざんまい

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名張市経済好循環推進協議会 
眞鍋 栞さん 【取材:2021年12月】



 宝くじで7億円当てても、きっと仕事は続けていく
「就労支援ってどんな仕事なんやろ?よく分からないけど、やってみよう」。怖いもの知らずの性格で飛び込んだのが5年前。市が国の交付金を受けてつくった協議会は、自分の思いを形にしていける職場でした。
 2人目の子どもを出産後、以前働いていた職場への復帰を試みましたが、どこの保育園もいっぱい…。「家庭で育児をしながら、自分のもつスキルを生かした『在宅ワーク』ができればな」と思いました。本当は保育園が増えればいいのですが、すぐに解決できる問題ではないですよね。そうした中、協議会では、在宅ワークに生かせるチラシや動画の製作、ハンドメイドなどの技術を磨ける講座を企画し、子育て中の人の「働く」を応援しています。
 今まで経験してこなかった「企画」という仕事は、すごく魅力的でした。印象的なのは、おしどり夫婦で有名な放送作家の野々村友紀子さんとお笑い芸人の二丁拳銃さんの対談企画。家庭での男女の役割分担を見直してもらおうと考え、出演交渉から送迎までいろいろこなしました。働くことは大変だけど、人と人とのつながりを生み、自分を成長させてくれます。仕事の喜びや楽しみを味わってしまったので、何とかして育児と仕事を両立させたい。宝くじで7億円を当てても、きっと仕事は続けていくんだろうなと思います。
 
 個人事業主として新たなチャレンジ
 仕事で視野が広がり、人生が豊かになる―。そんな経験を、多くのママさんにしていってもらいたいんです。特に、女性は育児や家事に縛られ、自分のしたいこと、特に仕事を我慢することが多いですよね。
 協議会の講座を受講して技術力が身についてきた人や、仕事を紹介させていただける事業所も増えてきました。SNSの更新代行、ネットショップの運営、HPの作成など、在宅ワークの業務は多岐にわたります。いずれも納期や品質を守らなければならず、発注・受注の間に立つのは、大変なこと。でも、協議会による事業は今年度で一旦終了となり、「事業終了とともに、こうした関係を終わらせてしまえないな」という気持ちになりました。今の仕事で出会った講師や受講者、事業所の皆さんに助けていただきながら、今度は、個人事業主としてチャレンジしていきますよ。

【プロフィール】
市産業チャレンジ支援協議会で2年間、市経済好循環推進協議会で3年間の計5年間、子育て中の人の就労支援に携わる。数々のセミナーを企画し、150人以上のママさんを就労に結び付けた。ここでの経験や人脈を生かし、働くママさんを応援する個人事業主になった3児の母 



なばる宣士 知ってだあこ隊

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地域おこし協力隊 
長谷川 幸太朗さん 【取材:2021年11月】



 ディープな名張を満喫中
 昨年の4月、子育ては地方でとの思いで、東京から名張へ。妻とともに「地域おこし協力隊」として着任しました。「地域おこし協力隊」と言っても「なにをするの?」となるので、通称を「なばる宣士 知ってだあこ隊」としました。「なばる」とは「名を張る」ということ。「自分たちのまちを誇りをもって紹介していこう」という思いを込めました。
 名張へ来てまだ1年も経っていませんが、地域の人は、子どもたちをすごくかわいがってくれて、まるで親戚のおじちゃんやおばちゃんのよう。市内のカフェは、地元野菜をふんだんに使った料理がリーズナブルで、素晴らしい景色もマッチしてレベルが高い。それに、地元の人が集う小さな居酒屋を訪れたり、まちのことなら何でも知っている生き字引のような人と出会ったりと、ディープな名張も満喫中です。

 得意なこと・好きなことを生かして、まちを元気に
 とにかくアニメが大好き。大学卒業後は、アニメキャラクターグッズの販売店舗運営やイベントを企画する会社に就職。仕事では、ファンが愛するキャラクターを、まずは自分が好きにならないと商品は売れないし、長続きしないことを学びました。例えば、「アニメのキャラクターは呼び捨てにしない」が鉄則。在庫のキャラクターグッズの箱に「〇〇くん」と書いていると、これを見たファンがツイッターに投稿。「キャラクターがすごく大切にされている」と広まりました。このことは、まちづくりにも通じることかもしれません。 
 名張は、立地や歴史、市街地や自然の雰囲気など、ほかのまちに比べて、それぞれの平均点は高いのですが、統一的なイメージが無いのか、つかみどころがない。だから、「名張には何もない」という人が多いのかも。まずは、名張の人に、もっと名張を好きになってもらう。そして、外に向けて名張を自慢してもらえるよう、観光客や移住者はもちろん、名張の人にも名張を知ってもらう活動を大切にしていきたいですね。 
 そのうえで、一人ひとりが得意とすること、好きなことを生かして、まちの活性化に結び付けていける、そんな流れをつくっていけたらいいな。私の場合、市内の空き家を活用して、前職の知識や経験、人脈を生かしたアニメグッズ販売ができれば。それに、まちの人にいろんなことを教わりながら、移住希望者とまちの人をつないだり、移住者の視点から名張の魅力を発信できる場所もつくっていきたいと考えています。

【プロフィール】
山口県出身。妻の未紗さんとともに、地域活性化に取り組む「地域おこし協力隊」として昨年4月着任。前職は、アニメの店舗運営やイベント企画業務。第1水曜午後0時20分からFMなばり「なばれ!コータロー!」に出演中
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夢の数珠つなぎ

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名張へ移住し、スパイスカレー店を開業 
杉本 美和子さん 【取材:2021年12月】


 人の温かさに触れ、移住して間違いなかったと確信
 いつか古民家で飲食店をするんだという夢をかなえるために、赤目へ移住。地元の人とうまくやっていけるだろうかと心配していましたが、そんな不安は、すぐに吹き飛びました。
 古民家の改装作業をしていると、通りがかりに声をかけてくれる人や、わざわざ見に来てくれたり、親切に自分で作った野菜を持ってきてくれた人もいました。中には、木が生い茂っていて困っていたら、「切ったろか?」という人も。「家の完成までまだまだやなぁ」「工事、手伝っていきませんか?」積極的に近所の人と関わっていきたいと思っていたので、そういう会話もすごく楽しかったですね。なんだか、近所の皆さんと一緒に家を改装していった感じです。 
 カレー店の開業に向けて、地元で採れた野菜を購入できるところを探していると、家の裏の人が農家で、「ええとこ紹介したるわ」と、ご近所にいるたくさんの生産者と結び付けてもらいました。野菜を購入するだけの関係ではなくて、プライベートでもご飯を食べに行ったり、車が壊れたときに助けてもらったりしてるうちに、絆が生まれてきたなと感じました。お店がオープンしたとき、近所の人たちがたくさん来てくれてすごく嬉しかったです。今もその光景が目に焼き付いています。本当に近所の人が温かくて、赤目に移住してきて間違いなかったですね。

 出会いの数だけ夢が増えていく
 私はおしゃべりが大好き。だから、すぐにお客さんにも話しかけちゃって。考案しているメニューの相談をすることもあるんですよ。人が興味を持っていることや一生懸命取り組んでいることに興味津々。自分が知らないことや経験したことがないことも自分の糧にしたいから、積極的に話しかけないと「もったいないな」って思ってしまうんですよね。
 今は、古民家の一室を使って、絵画の個展や、ヨガや子育てに関する教室ができたらいいなって考えています。絵を描いている人、ヨガの先生、抱っこやおんぶのやり方の先生、絵本の読み聞かせなどの講師として招こうと考えているのは、実は、みんなお店のお客さんで、おしゃべりから生まれてきたアイデアばかり。お客さんと出会うたびに、やりたいことが増えてきて、どんどん夢が膨らんじゃう。いつかこのお店が、地元の人が集まり、人と人とがつながって、みんなの夢がつながっていく、そんな場所にもなっていけば嬉しいな!

【プロフィール】
家族4人で、令和2年12月に枚方市から赤目町柏原の古民家へ移住。市の「若者移住定住チャレンジ支援事業」(空き家や空き店舗を活用した創業に補助)に採択され、昨年2月、自宅に併設したスパイスカレー店をオープン。地元の食材を盛り込んだカレーと店主の人柄が人気を呼んでいる。写真は、杉本さん家族とお客さん
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フランス育ちのローカルヒーロー

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ローカルヒーロー「イガジャー」として活躍 
ジェラーダン・シモンさん 【取材:2021年12月】



 忍びの勇者「イガジャー」に変身!
 生まれ育ったフランスでは日本の文化がすごく人気。小さいころから、日本の文化に触れる機会も多く、5歳のころは柔道も習っていました。一番夢中になったのは戦隊ヒーロー。フランスでも、日本の戦隊ヒーロー番組がテレビで放映されていました。大人になり、メンバーが80人以上もいる戦隊ヒーローファンのグループを作ったりもしました。
 日本への移住後、ローカルヒーローのイベントを見る機会がありました。自分にもできるのではと思って作ったのが、忍びの勇者「イガジャー」のスーツでした。イベントで、私がヘルメットを取ると、顔を見てみんな驚くんですよ。まさか、外国人が演じているとは思ってもいませんからね。 

 みんなの笑顔が私の幸せ
 コロナでイベントが中止になる中、子ども向けの感染対策のポスターを作成。イラストは、フランスにいる友達の漫画家に描いてもらいました。多文化共生センターなどに配布して、コロナに負けず、一緒に乗り越えようと訴えかけています。
 また、忍者スポーツ「手裏輪」の普及にも力を入れています。「手裏輪」は、輪投げの要領で的棒を狙うスポーツ。イガジャーがイメージキャラクターなんです。11月には市内の全小学校に「手裏輪」の用具セットを寄贈しました。簡単そうで、意外と難しい。そこが「手裏輪」のおもしろいところ。名張市民センターにも置いてあるので、皆さんもぜひ体験してみてください。
 来年には、パリで開催されるジャパンエキスポに参加することになっています。ジャパンエキスポは、日本文化の祭典で、日本でも取り上げられるくらいフランスでは大規模で有名です。こんなビッグなイベントに参加できるなんて、今からすごくワクワクしています。名張の魅力をフランスで発信する橋渡しをしたいですね。
 息子たちは「パパかっこいい」と言って、自分のお父さんがヒーローをしていることを喜んでくれています。自分の好きなことをやっていて、みんなが楽しんで、喜んでくれる姿を見るとすごく幸せ。いつか、仲間を集めて、戦隊ヒーローショーをすることが私の夢です。

【プロフィール】
結婚を機にフランスから日本へ移住。子どもが生まれた2007年に妻の出身地である名張へ。普段は介護施設で働く。休日は忍びの勇者「イガジャー」に変身し、伊賀地域のPR活動や、「手裏輪研究会」の人たちと「手裏輪」の普及活動を行っている。3児の父。百合が丘在住
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日日是好日

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がん・難病患者相談員 
広野 光子さん 【取材:2021年12月】



 きっと良くなる。必ず良くなる。
 家事や介護、そして記者の仕事を愚直に一生懸命やってきた。そんな私がどうしてがんに…。何か悪いことをしたの?たとえようもないぐらい悔しかった。30年ほど前のことです。後で知りましたが、私は「余命半年」でした。
 医療だけでなく、周囲の環境も含めて調和がとれると、元気になれる――。闘病中にそんな考え方を知り、同じ病棟の患者を誘ってラジオ体操をしたり、歌を歌ったりしました。同じ境遇の人たち同士、心が通じ合って楽しかったです。そんな中、夫が病気で亡くなりました。すごく落ち込みましたが、「息子が一人前になるまで生きなくてはいけない」、そう決意しました。
 私の闘病記が新聞に連載されるようになったのもそのころです。今でこそ、インターネットに闘病記があふれていますが、当時は珍しかったんですよ。その読者が集まって発足したのが「がんを明るく前向きに語る・金つなぎの会」でした。会の仲間で旅行をしたり、温泉に入ったりと「心と体に良いこと」に「まじめに楽しく」取り組みました。当初24人だった仲間は、現在全国に1,600人以上。お互いを励まし合いながら、「きっと良くなる。必ず良くなる」。そう言い切ることで、すごく力が湧いてきます。希望をもって生きなければ、生まれた甲斐がないと思うんですよ。

 誰かのため、仲間のために
 がん末期の青年が、最期は人を寄せ付けずに亡くなったことがありました。「心と体はつながっている。もう少し早く出会って、いろんな話をしていれば」。そんなことを市長にお話ししたことがあります。それが、「がん・難病患者相談」創設のきっかけとなりました。地域の老人会の皆さんがたにサポーターとして支えていただきながら、はや15年。延べ500人以上の悩みに耳を傾けています。最近、相談者から「誰かの役に立ててほしい」と、がんの専門書をたくさんお譲りいただきました。相談室に図書コーナーを設け、相談者が集えるサロン活動も始めていきたいと考えています。
 平成22年からほぼ毎年開催している講演会「名張で学ぶがん医療」や、がんや難病患者を励まそうと毎年自宅を飾り付ける「祈りの電飾」など、医療従事者や地域の皆さん、事業者、金つなぎの会の仲間ほかいろんな人に支えていただいています。自分のためというわけではなく、誰かのため、仲間のためにと続けていくうちに、大きな輪になっていったのだと思います。

 幸せのハードルを低く設定すると、いくらでも楽しく生きられる
 闘病中は、痛みや不安で眠れない日が続き、癒しとなったのがラジオでした。80歳になった昨年、ついに念願の声優デビュー。アナウンサーに交じってレッスンをこなし、FM千里(大阪)でラジオドラマに出演。インターネットラジオも開設し、童話の朗読にも挑戦します。毎日更新している金つなぎの会のブログを楽しみにしてくれている人もいますし、日本舞踊やコーラスなど地域のつながりも大切にしたい。ジャーナリストとして物書きの仕事もある。自分が3人いてほしいぐらいですが、日日是好日。目が覚めて幸せ、良い天気で幸せ、クーポン券で割引してもらうだけでも、心に灯がともる。幸せのハードルは低く設定する方が良い。小さな幸せでいくらでも楽しく生きられます。今日一日が良ければ、それでありがたいと、いつの間にか自然に手を合わせてしまう。そんな、感謝の気持ちで毎日を過ごしています。

【プロフィール】
50代で乳がんと卵巣がんの闘病を経験。平成7年に、がん患者の全国組織「がんを明るく前向きに語る・金つなぎの会」を設立し代表に。平成17年からは、がん・難病患者相談員として活躍。講演会「名張で学ぶがん医療」開催など、80歳となった今も精力的に活動を続ける。自宅(富貴ヶ丘=写真)での「祈りの電飾」は28年目を迎えた。
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まちの若きチャレンジャー

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「名張学園祭」実行委員長 杉田 香乃さん(写真中央) 【取材:2020年12月】

名張がさびれていくのはすごく寂しい。だから、若い人には、もっと地元に目を向けてもらいたい。「まちづくり」って何だろうって考えたとき、それは、「住んでいる人がまちを知ること」だと思うんです。名張に愛着が生まれたときに、「ここに住み続けたい」と思えるようになるんじゃないかな。私自身、名張のいいところを知ると、もっとみんなに知ってもらいたいな、ずっとここにいたいな、と思います。

小さいころから、活動的だったわけじゃありません。名張高校でいろんな体験ができたのが大きかったかな。県議会で伊賀の課題をまとめて発表したり、鳥羽でいろんな高校の生徒と一緒にフィールドワークをしたり。行く前はすごく不安。それが、やってみるとなかなか楽しい。このころからですね。どうしようかと悩んだときは、とにかくやってみる。名張高校の先生に「チャンスは逃すな」。そう言われたのが忘れられません。だから、「名張学園祭」をやってみないかと、名張地区まちづくり協議会の皆さんから声がかかったときも、「何でもやってみよう」という気持ちが後押ししました。「若者主体でやってほしい」。それがはじめに課せられたミッションでした。

友人二人を誘うところからのスタート。高校に実行委員募集のポスターを貼ってもらうなどして、メンバーが増えていき、大学・短大生4人と、高校生7人が集まりました。3月以降隔週で打合せ。前例がなく手探りでしたが、ステージの出演や出店の要請、ポスター作りなどの準備を進めていきました。成り行き上、私が実行委員長になり、準備から楽しむことを目標に。「名張学園祭」の横断幕を作るころには、すごくいい雰囲気になっていました。

終わってみると、1,000人近い来場者。想像以上の結果でした。「高校生の姿がかっこよかった」という小・中学生や、「コロナ禍の中、発表の場があってよかった」という高校生も。それに、実行委員の高校生は、来年も携わりたいと言ってくれるし、「就職活動もあるし、次はちょっとな…」という雰囲気を醸し出していた友人も「今度はもっとよくしよう」って!すごくうれしかった。「名張学園祭」は、学校という垣根を越えて名張の若者がつながれる貴重な場。催しの継続に力を尽くしたい。あと、海外に行ったり、空き家の活用プロジェクトに参加したりと、チャンスがあればいろんなことにチャレンジしたい。これからのことを考えるだけで、わくわくしてきます。

 【プロフィール】
名張市桔梗が丘西在住。奈良県立大学1年生。
「名張学園祭」の実行委員長。
「名張学園祭」は、若者のパワーとアイデアをまちおこしにつなげようと、名張地区まちづくり協議会が主催した初めてとなる催し。
昨年11月22日にadsホールで開催され、高校生や大学生が、企画・運営を担い、また、ダンスやバンド、吹奏楽など多彩な催しに出演した。


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思えば、近くへ来たもんだ

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名張へUターンし、工務店を開業
野山 直人さん 【取材:2020年12月】

大阪の建築事務所では、近畿大学の校舎やなんばパークスの図面を手がけました。大きな建物をつくる楽しさもありましたが、ヨーロッパを訪れたのをきっかけに、「日本にも世界に誇れる木造建築がある。もっと勉強したい」という思いに駆られていきました。働きながら、大阪の職業訓練校に通い、刃物のとぎ方から学び直したりもしました。名張を出て9年。子どものころの情景が忘れられず、子育ては名張でと思い帰郷。子どもが生まれ、起業するなら若いうちしかないと決心し、縁があって、事務所として新町にある木造の空き家をお借りすることになりました。

風が通らないと建物は湿気にやられてしまう。だから、人が住んでいないと、だんだんと朽ちていくのです。空き家の管理に困っている家主と、古民家に魅力を感じて住みたい人が、うまくマッチングされればいいのですが、不動産の売買・貸借は、なかなかシビアな問題。名張でも空き家が増えていますが、空き家を活用する選択肢を広げられないかと考えています。そこで、お借りした空き家を舞台に何ができるのかを考えて実証していこうと、プロの設計士やデザイナーに声をかけ、打合せの日も決めていました。

いよいよというとき、コロナ禍で計画がストップ。そのうち、「建築の専門家が集まって、何かやっている」というのではなく、「もっと、地域のいろんな人に関わってもらえれば」と思うようになっていきました。願いは、名張のまちなかに人が集い、賑やかであってほしいということ。その原点に立ち返り、古民家で「何かやりたい人」とつながっていこうと方向転換したんです。いろんな人に多角的に携わっていただけると、可能性が広がっていくはずです。私には、他にも「伊賀産木材のブランド化」という夢がありますが、山の手入れから流通経路まで途方もない課題がある。まずは、山に興味をもってもらおうと、人が集えるサウナを作ろうと計画中。現在、県内外の若者とつながりながら、少しずつですが、夢に向けて前進しています。

大変で「楽」じゃなくても、やりがいがあって楽しいと思える道を選ぶことが、私のモットー。これまでの人生は回り道ばかりだったかもしれませんが、その経験を生かして、大好きな名張で活動できていることは、すごくありがたい。名張に帰ってから、自分は「大切な人に囲まれているんだ」と強く思えるようになりましたね。

 【プロフィール】
名張市瀬古口在住。妻と子3人の5人暮らし。6年前に名張へUターンし、平成29年にリフォームに特化した工務店を開業。
名張学園祭に携わった大学生などにも声をかけ、12月に、新町で借りている空き家の活用プロジェクトが始まった。
「この空き家が、若者が地域とつながれる場になれば。そんな環境をつくるのも大人の役割」と野山さん。

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竹で未来を照らし出す

辻本和也さん

竹雀~takesuzume  代表
辻本 和也さん 【取材:2020年12月】

都会にあこがれ、大学生の頃大阪へ。就職後も西宮に住んでいましたが、自然豊かな田舎で育児をしようと、2009年に滝之原へ帰郷。ある日、畑で遊んでいた長男が、ミミズをつかんで見せにきました。すると、さっとツバメが飛んできてミミズをパクリ。リアルな食物連鎖を親子で目の当たりにした瞬間でした。また、木の実を食べた小鳥が、種を運んで糞とともに拡散したり、アブラムシの甘い排泄物をアリが食べ、天敵のテントウムシを追い払ったりと、田舎のあちこちで、自然は様々な連鎖の上に成り立っていることを教えてくれます。こうした光景は新鮮で、すごく感心します。

一方で、滝之原では過疎化が進み、「このままでは、地元が滅んでしまう」という危機感があります。でも、本来、田舎は様々な可能性を秘めているところ。例えば、京都の料亭で出された料理に美しいもみじが添えられていた。聞けば、10枚1,000円で売られているそう。ネットでクリスマスツリー用に松ぼっくりも売られています。田舎の資源を都会で売ることができれば、雇用が生まれる。重要なのは、その土地にある身近な資源を、有効活用できる仕組みを作っていくことだと思うのです。

滝之原に帰ってきた頃、自宅に薪ストーブを設置。周りは山ばかりなので、薪は簡単に手に入ると思っていたら、そうではなかった。山は杉や檜ばかりで、広葉樹は少なかったのです。ただ、地元の人は「竹やったら、いらない」と口をそろえました。かつて、竹で作られていた籠などの日用品や工芸品が、プラスチックに置き換わり、竹は放置され山を荒らす厄介者となっていたのです。でも、生命力があり成長も早い竹を、資源として使わない手はありません。赤目四十八滝や伊勢神宮外宮などの催しに設置している「竹あかり」をはじめ、竹製のスピーカーやマイボトル、歯ブラシの柄…。厄介者だった竹を様々な商品に生まれ変わる「オール竹(チック)」としてどんどん活用していきたいと考えています。

帰郷してから意識するようになった「グローカリゼーション」という言葉。「地球規模で考え、地域で身近な行動をしよう」という考え方です。竹を切って、地主から喜ばれる。竹は「オール竹(チック)」として活用し、最後は炭にして自然にかえす。そして、竹で雇用を生み出し、地域が存続する――。いま、地元のメンバー6人で構成する「竹雀」の仲間や行政などとともに、自然と共生しながら、未来へと続く連鎖をつくっていこうと、一歩ずつ活動を進めているところです。

 【プロフィール】

名張市滝之原出身で証券会社勤務。長男誕生を機に名張へUターン。
2015年に、同郷でデザインが得意な福岡広志さんを誘って工房「竹雀」を設立し、竹を使った創作活動を開始。
名張市エコツーリズム推進協議会の「なばり竹あかりSDGsプロジェクト」にも参画している。

なばり竹あかりSDGsプロジェクト 赤目渓谷 幽玄の竹灯り
「竹雀」の作品をはじめ、体験ワークショップなどで作られた約1,000本の竹あかりが、渓谷内を幻想的に照らし出しました。
赤目渓谷 幽玄の竹灯り

プロジェクトによる体験ワークショップのひとこま(右が福岡さん)
竹あかりワークショップ

【関連リンク】
なばり竹あかりSDGsプロジェクト(名張市ホームページ)

「人を助ける」ことが僕のすべて

中井祐樹さん

名張市立病院 看護師
中井 祐樹さん 【取材:2020年12月】

母が、医療のドキュメンタリーにはまっていまして。幼少期のころから、テレビに映し出される「人を助ける」姿を見て、僕も将来は人を助ける人になるんだと思って育ちました。中学校の職場体験では看護師を選択。もう、一直線ですよね。看護師になって12年目。看護専門学校に学び、大阪大学医学部付属病院に4年、そして、結婚を機に名張市立病院へ赴任しました。大変な状況にある伊賀地域の救急医療に少しでも貢献したい。それに、地元の人を助けたいという気持ちが大きかったのです。

立ち止まらずに、一歩でも成長していきたい」。常にそう考えています。2020年4月からは、「クリティカルケア認定看護師教育課程」の研修を受講。クリティカルケアとは、救急医療やICUでの集中ケアのこと。医師の作成した手順書に従って、自己の判断で診療補助(特定行為)が行えるようになるための研修です。例えば、人工呼吸器の設定変更を看護師の判断でタイムリーに行えるので、苦痛の緩和や人工呼吸器からの早期離脱につながります。働きながら、学校に行って勉強するのは正直すごくしんどい。でも、勉強したことを、すぐに現場で生かせるので、やりがいが半端ないです。

研修の中で、改めて感じているのが多職種連携の重要性。一人の患者さんに、医師や看護師、検査技師、放射線技師、リハビリ技師、栄養士など、様々な職種が関わります。なかでも、私たち看護師は、患者さんにとって最も身近な存在です。医師に伝えにくいことを患者さんから伺ったり、家族の不安に寄り添ったり。医師や技師などの専門的な判断や思いも理解しながら、多職種がチームとして患者さんにとってよりよい選択を提案していくために、私たち看護師は重要な役割があるのです。

特に、救急の現場は、患者さんやその家族の気が動転していることも多い。「自分だったら」と相手の身になることを心がけるようにしています。自分の子どもだって、いつ運ばれてくるか分からないわけじゃないですか。看護技術を磨くことは当然のこと。その上で、相手の立場に立てるプロを目指したい。一人でできることは限られていますが、病院の多職種チーム、そして伊賀圏域全体が一丸となって、いざという時に「人を助ける」ことができる医療を提供していけるように、私にできることは何だってしていきたいと思っています。

 【プロフィール】
名張市つつじが丘在住。伊賀市出身。名張市立病院で「特定行為」が実施できる看護師第1号となるべく奮闘中。
妻と子の3人暮らしで、2021年春には家族がもう一人増えるそう。
「緊張が強いられる現場から離れて、2歳半になる子どもの笑顔をみると、ほっとします」とにんまり顔。

 

思いもよらない世界へ

川瀬翔矢さん

全日本大学駅伝で区間賞に輝く
川瀬 翔矢さん 【取材:2020年12月】

夢や目標に向かって、後悔しないように努力を一つひとつ積み重ねていくことで、「思いもよらない世界」に到達できる気がします。駅伝でいうと、練習や大会ももちろん大事なのですが、食事や睡眠など毎日の日常生活の積み重ねが、すごく記録に影響します。「努力のための努力」になってしまってはダメ。勝つために、何をすべきか。その過程が努力にすり替わるだけあって、「自分は頑張っているな」と、満足してしまっては、そこで終わってしまいます。スランプや怪我も成長の糧にしながら、やるべきことをコツコツとやってきて、最後は、歯を食いしばって、気持ちで走り抜く。その成果が現れてきているのだと思います。

高校生の時に、動画で見たインターハイの試合。いつか自分も同じ舞台に立って全国で競い合いたいという気持ちが強かった。自分が選んだ地元で、今、少しずつその夢を実現できていることがすごくうれしいですよね。実は、大学進学の際に関東の大学から声をかけられて、そこに行こうという気持ちも少しはありました。でも、自分は地元をもっと盛り上げたい。僕が地元で頑張ることで、地方で頑張っている他の選手の励みになるのではと思ったのです。それに、素晴らしい監督のもと、夢に近づくために成長できる十分な環境があると判断し、地元の大学を選びました。

東京オリンピックの選考に残ることが今最大の目標。次のパリオリンピックも視野に入れています。4月からは、地元を離れ県外の実業団チームへの加入が内定しています。しばらくは、大好きな名張を離れることになりますが、生半可な気持ちではなく「一世一代の勝負」と思って頑張ってきます。名張は、なぜだか心がすっと落ち着くところ。いつかは戻ってきたいなと思っています。

 【プロフィール】
名張市つつじが丘出身。皇學館大学4年生。
ハーフマラソンの現役日本人大学生1位の記録を持つ。
昨年11月の「全日本大学駅伝対校選手権大会」では2区を走って過去最多の17人抜きを果たし、区間賞に輝く。
中学3年時に参加した「美し国市町対抗駅伝」の選考会をみた近畿大学工業高等専門学校の監督から誘いで、陸上競技を本格的に始めた。

 

夢は無限大

澤音葉さん

子どものど自慢で見事優勝
澤 音葉さん 【取材:2020年12月】


歌が好きで、いつの間にか口ずさんでいます。学校からのチラシを見て、両親が「子どものど自慢」に出てみたらと勧めてくれました。人前で歌うのは恥ずかしいけど、優勝したら自分の部屋に欲しかったキャビネットを買ってくれるというので、出場することに。優勝できてびっくりしました。

実は、自分の歌声はあんまり好きじゃないんです。でも、歌を聞いてくれた人がほめてくれるとうれしいな。
夢は歌手じゃなくて、カフェでお菓子を作りたい。他にもたくさんあるけど、まだ決めてません。今は、お母さんの知り合いが集まる会が毎月あって、みんなの前で歌を歌うことにしています。すごく緊張するけど、歌った後はスッキリ。ちょっと楽しくなってきたかも。

 【プロフィール】
市内の小学生が対象の「子どものど自慢」(名張青年会議所主催)に出場。
2020年10月にオンラインによる審査があり、約50人の応募者の中から、「音程が取れていて、声がすごくきれい」などと評価されて優勝。
2021年は、名張をテーマにした曲が名張青年会議所からプレゼントされるそうです。

 

移住者のヒトコト

名張に移住された皆さんに、ヒトコトいただきました。


名張は大阪へ通勤圏内です。

  • 藤本さんファミリー

地域の子育て広場に家族で参加している藤本さんの職場は大阪。
「名張から大阪へは十分通勤できる距離。休日は近くの公園で家族でのんびりします。子育て環境は一番ですね!」

 

名張の自然に惚れました。

  • 井上さんファミリー

大阪から名張へ移住し、農業経営をする井上さん。
「セカンドステージはやりたいことをしようと、名張の自然に惚れて農業を始めました。大阪にも近く、都会と田舎の間のほどよい便利さがいいですね!」

 

ふるさと名張で暮らし続けたい。

  • 松岡さんファミリー

地元を愛する松岡さん。
「慣れ親しんだ名張は便利で暮らしやすいですね。実家もすぐ側にあると何かと助かります。わたしたちが育った地元で子どもを育てていきたいです。」

 

やっぱり名張がいい!

  • 久米さんファミリー

仕事の転勤で名張に帰ってきた久米さん親子。やっぱり地元が住みやすい。
「仕事の転勤で学生時代を過ごした名張に帰ってきました。このまちで子どもが2人生まれました。やっぱり住み慣れた名張が落ち着くし好きですね。」

生活のしやすさが魅力。

  • 遠藤さんファミリー

地元での生活を満喫している遠藤さん。
「職場は車で通勤できる近隣市。名張は生活のしやすさがいいですね。休日は地元で開催されるイベントを楽しんでます。」

自然と便利が共存!

  • 内本さんファミリー

名張で古民家カフェをオープンした内本さん。
「自然に囲まれた古民家でカフェ経営を始めました。車で数分走ればコンビニやスーパーがあるから便利な生活を送っています。自然と便利さが共存しているからこそわたしたちの夢が叶いました。」

歴史の魅力たっぷりの名張。

  • 中田さんファミリー

名張の暮らしをおもしろくしたい中田さん。
「海外や他県での暮らしを経て20年以上暮らしていた名張に帰ってきました。現在は築130年の町屋を改装して古書店カフェを経営しています。名張には歴史ある魅力が詰まったものがいっぱい。まだ知らない名張の新しい発見や人との出会いにワクワクしています。」

都会からの農業満喫ライフ

大島さんファミリー
理想の農業が叶えられると、大阪府から移住された大島さんご一家。

「農業に最適な空気と水がきれいな名張市を選びました。実際、名張でつくる野菜はうまみが強いと感じています。また、小学校・中学校ともに近い場所にあり、駅まで徒歩圏内という好立地条件にもかかわらず、自宅の庭で自然を満喫できることも気に入っています。」